言葉のカルマ
カルマ(行為)は身・口・意においてなしています。
私たちは心と言葉と行いにおいて常に行為をし、なんらかのカルマを積んでいます。このカルマが因となり果報を得ます。人生で体験することは全てこの因果によります。善いカルマによって良いことがあり、悪いカルマによってわるいことがあります。
身口意のうち、口のカルマについて、言葉のカルマについてを意識して取組んでみることは大変価値があります。言葉は気づきやすく取り組みやすいですが、結構キツイ言葉をいったりして自己の習性により悪業(悪いカルマ)を積んでたりします。
以下のようなことをチェックして言葉を正しくしていくことが、自分にも他者にも大変有益となるでしょう。
嘘をつかない。真実を語り、正直で、世間を欺かない。人のことを悪わない。ま人と人とを不仲にさせるようなことをいわない。人と人とが喜び和合する言葉を使う。乱暴な言葉で相手を罵らない。みんなに喜ばれる優しい言葉を使う。つまらない冗談などを言わない。その場に適したことを話し、実際のことを語り、道理や教法を比喩をまじえながら、相手にわかりやすく話す。
厳しく言えば、修行者は上記に加えて、愚痴を言わず、批判せず、煩悩的な会話や意味のない話もせず、一切の無駄話をやめて言葉を慎み、神や真理の話だけをするのが理想です。
自分に当てはめて、変えれるところを変えていく努力をしよう。
強くあれ
最近は毎日慈悲ついて考える。他者への優しさと思いやりを育み、菩提心を高めて行きたい。
今日はヴィヴェーカナンダの生誕日、大いなる菩薩である彼を想うと自分の卑小さに気づき修行に熱が入ります。
思えば聖者である多くの先人達が道を示し、生き方を示してくださっている。
その理想を我がものとしなければ、この貴重な生が無駄である。
『あなたは自分が思ったようになる。
自分を弱いと思うならば、弱くなるだろう。
自分を強いと思うならば、強くなるだろう。
自分を不純であると思うならば、不純になるだろう。
自分を純粋であると思うならば、純粋になるだろう。』
ヴィヴェーカナンダ
瞬間瞬間自己をチェックして、心おいてエネルギーにおいて出来限り高い状態を保て。常に。
善き心を育てる
日々善い心を育てる。このベクトルが大切。
今までできていただろうか。エゴの悪い心を育ててはいなかっただろうか。嫌悪や執着の心が出てはいなかっただろうか。
これからはいつも誰に対しても優しく思いやりをもって生きよう。善い心をを育もう。
そして真に他に貢献できるようになろう。
瞬間瞬間自覚して 瞬間瞬間全力であれ
最終の目的
人生の目的は人によってその時々に様々だろう。
私にとってただ一つの最終目的、それは神。
神こそが唯一の実在であり、この世界は神で出来ている。他はすべて幻。
この世界はすべて神、世界は神の愛で満ち満ちている。それが真実。
その真実に辿り着き、実際に体験しなければ意味がない。
それがこの人生の目的、そのために人生のすべてを使おう。
最終的には真に神とひとつになれるように。
神をつかむには、エゴをはなさなければならない。
自己の汚れの浄化しなければならない。汚れた心に神が現れることはできない。
エゴを捨てない限り真に神を悟ることはできない。
神の至福、その大いなる達成のためなら、他の欲望は捨てれるだろう。
人生は短い。いつ終わるかわからない。だから日々目的に向かって前進しよう。
切望せよ
切望せよ。奮闘せよ。
心の本性を悟りたいなら。最高の悟りを得たいのなら。真に神を見神したいなら。
そういう思いを持っていても、すぐにこの世のマーヤーにはまって、幻影に惑わされてしまう。
だから日々修行に打ち込む。切望し続け、求め続ける。そうでなければ手に入れることはできない。
この人生はプライドを満たすためにあるのか、
美味しいものを食べるためににあるのか、
快楽に流れ様々な欲望をかなえるためにあるのか、
他者に不満や怒りをぶつけるためにあるのか、
利得、地位や名誉を得るためにあるのか、そんなわけはない。
神を悟るために真理を悟るためにあるのだ。
ならば、誠実に神のみを求め真理のみを求め続けよ。
そうしてのみ神は姿を現してくださる。
邪心を捨てて純粋に聖なるものを求め続けよ。
この世の無常なのもを求めて何の意味があろうか。
人生を神に捧げ、他者の幸せのために捧げ、修行に捧げる。
なんと幸せな人生であろうか。