一呼吸の中にある命を見つめる
私たちは毎日、無意識のうちに何度も呼吸を繰り返しています。
この、あまりにも当たり前で普段は意識することすらない「呼吸」にこそ、私たちの命のすべてが息づいています。
お釈迦様は、「アナパーナサティ(出入息念)」と呼ばれる呼吸の瞑想を説かれました。
息を吸うときは「吸っている」とありのままに気づき、吐くときは「吐いている」とただ自覚する、極めてシンプルな実践です。
この呼吸を深く見つめていくと、ある特別な瞬間に気づくことがあります。
それは、「吸う息」と「吐く息」のちょうど間にある、ほんの一瞬の隙間です。
息を吸いきり、それを吐き出す直前の、一瞬の止まった時間。
そこには、完全な静寂があります。
「生涯とは、たった一呼吸の積み重ねにすぎない」とも仰いました。
私たちの命は、過去にあるわけでも、未来にあるわけでもありません。ただ「いま、この一呼吸」の中にだけ、確かに存在しています。
その一呼吸の、さらに「隙間」にある静けさに意識を向けるとき、私たちは思考から解放され、命そのものの源へと立ち返ることができるのです。内なる彼方の発見です。
忙しい日々の中で、ほんの数秒だけでも。
吸う息と吐く息のあいだにある、その静かな「間」を見つめ、ご自身のなかの命の響きに、そっと触れてみませんか。
「私が考えている」という勘違い
私たちは日々、頭の中でずっと「おしゃべり」を続けていますよね。
「今から何も考えないぞ!」と思っても、次から次へと勝手に思考が浮かんできませんか? そう、実はその考え、あなたが考えているのではないのです。
マインドのおしゃべりは、過去の経験や潜在意識が自動的に再生しているデータにすぎません。つまり、頭に浮かぶ「考え」はすべて過去の遺物であり、真実ではなく、ただの「個人的な解釈」です。
ここで、とても大切なことに気づいてほしいのです。
「起きた出来事」そのものが、あなたを苦しめているわけではありません。
本当の苦しみは、その出来事に対して、マインドが勝手に貼り付けた「最悪な解釈」から生まれています。
現実はいつもただシンプルに起きているだけ。
「あ、この苦しみは出来事のせいじゃなくて、ただの自動的な解釈なんだ」
そう気づくだけで、マインドの重縛からすっと解放されていきます。現実は、ただ淡々と起きているだけ。そこに良いも悪いもありません。
苦しい映画を観て涙を流すように、私たちはマインドが作り出した「解釈」というストーリーに怯えているだけなのです。
スクリーンに映る映画(解釈)から一歩引いて、ただ静かに起きている現実を眺めてみる。
それだけで、世界は驚くほど優しく、静かなものに変わっていきます。
幸せでいることを選ぶ
今この瞬間、ただ幸せでいることを選ぶ」それしかないんだ。
外側の状況が変わったら幸せになる、ではなくて。
何かが手に入ったら、あの問題が解決したら、ではなくて。
外側をコントロールしようとするのを、一度ぜんぶ手放しよう。
外を変えるのではないんだ。
理由なんて分からなくてもいい。
仕組みなんて理解できなくてもいい。
ただ、「今この瞬間、私は幸せでいる」と、自分で決めて、それを受け入れること。
幸せでいること。
それがあなたの本当の使命であり、大いなる源(神)の願いそのものだから。
私たちが今この瞬間、本当にできることは、実はそれしかないんだ。
だから、分かんなくてもいいから、今この瞬間、ただ幸せでいることを選択してほしい
オームチャンティング
最近、私が何度も足を運んでいる「オームチャンティング」というグループワークについて、今日はお話ししてみたいと思います。これまでは親しい方にお話しいていただけでしたが、私自身、回を重ねるごとにその素晴らしい恩恵を体感しています。
オームチャンティングとは、参加者が輪になって聖音「オーム」を唱え続ける、とてもパワフルなエネルギーワークです。5000年以上前の古代の賢者たちも心身の不調を正す主要な手段として用いていたと言われています。
現代においてマハーアバター・ババジとパラマハンサ・ヴィシュワナンダ大師
という神なるマスターの恩寵によって、私たちもこの実習の恩恵にあずかることができるのです。
一人で行う瞑想も素晴らしいものですが、このワークの凄さは「グループと高次元との共鳴、聖なるOMのバイブレーション」がすごい。
実際に何度も体験して感じるのは、その圧倒的な浄化の力です。
セッションが始まると、会場の中心に高次元の「光の柱」が立ち、半径2km圏内にある不要なエネルギーやネガティブなものがその柱に向かって集まり、上空へと引き上げられていきます。そして、それらがすべて神聖な光(肯定的な波動)へと変容し、再び私たちの元へと降り注いで還ってくるのです。
私自身、1人で静かに座る瞑想ではなかなか手放せなかった重いエネルギーやカルマのようなものが、ここに1回参加するだけで、驚くほどすっきりと外れて心身が軽くなるのを毎回実感しています。
理屈ではなく、ただその音の響きと光の循環に身を委ねるだけで、内側がクリアになっていく心地よさ。
私たちの世界の今の状況だからこそ、こうした祈りと肯定的な波動が、これまでになく必要なのかもしれません。
不完全さを認める
もっと完璧にならなきゃ、もっと良くならなきゃと、修行をしてきました。
でも、今日、ふとした瞬間に気づいたのです。
「あぁ、私は不完全なままで、もうこれで良かったんだ」と。
足りないとか、不完全だと思っているのはエゴだけで、本当は最初から何も欠けていなかった。
そう認めた瞬間、心がものすごくシンプルに、軽くなりました。
何かを足して完璧になろうとするよりも、今の自分のまま「これでいいんだ」と受け入れること。
どこかにゴールがあるのではなく、本当の心地よさは、最初からここにあったのだなとしみじみと感じています。
何かを足して完全さに近づく必要なんてなんてない。そのままでいい。
安心感と満たされた心地よさ。
この内なる静寂の感覚は、自分に完全さを求めないとき、いつもそこにあります。