強くあれ
最近は毎日慈悲ついて考える。他者への優しさと思いやりを育み、菩提心を高めて行きたい。
今日はヴィヴェーカナンダの生誕日、大いなる菩薩である彼を想うと自分の卑小さに気づき修行に熱が入ります。
思えば聖者である多くの先人達が道を示し、生き方を示してくださっている。
その理想を我がものとしなければ、この貴重な生が無駄である。
『あなたは自分が思ったようになる。
自分を弱いと思うならば、弱くなるだろう。
自分を強いと思うならば、強くなるだろう。
自分を不純であると思うならば、不純になるだろう。
自分を純粋であると思うならば、純粋になるだろう。』
ヴィヴェーカナンダ
瞬間瞬間自己をチェックして、心おいてエネルギーにおいて出来限り高い状態を保て。常に。
善き心を育てる
日々善い心を育てる。このベクトルが大切。
今までできていただろうか。エゴの悪い心を育ててはいなかっただろうか。嫌悪や執着の心が出てはいなかっただろうか。
これからはいつも誰に対しても優しく思いやりをもって生きよう。善い心をを育もう。
そして真に他に貢献できるようになろう。
瞬間瞬間自覚して 瞬間瞬間全力であれ
最終の目的
人生の目的は人によってその時々に様々だろう。
私にとってただ一つの最終目的、それは神。
神こそが唯一の実在であり、この世界は神で出来ている。他はすべて幻。
この世界はすべて神、世界は神の愛で満ち満ちている。それが真実。
その真実に辿り着き、実際に体験しなければ意味がない。
それがこの人生の目的、そのために人生のすべてを使おう。
最終的には真に神とひとつになれるように。
神をつかむには、エゴをはなさなければならない。
自己の汚れの浄化しなければならない。汚れた心に神が現れることはできない。
エゴを捨てない限り真に神を悟ることはできない。
神の至福、その大いなる達成のためなら、他の欲望は捨てれるだろう。
人生は短い。いつ終わるかわからない。だから日々目的に向かって前進しよう。
切望せよ
切望せよ。奮闘せよ。
心の本性を悟りたいなら。最高の悟りを得たいのなら。真に神を見神したいなら。
そういう思いを持っていても、すぐにこの世のマーヤーにはまって、幻影に惑わされてしまう。
だから日々修行に打ち込む。切望し続け、求め続ける。そうでなければ手に入れることはできない。
この人生はプライドを満たすためにあるのか、
美味しいものを食べるためににあるのか、
快楽に流れ様々な欲望をかなえるためにあるのか、
他者に不満や怒りをぶつけるためにあるのか、
利得、地位や名誉を得るためにあるのか、そんなわけはない。
神を悟るために真理を悟るためにあるのだ。
ならば、誠実に神のみを求め真理のみを求め続けよ。
そうしてのみ神は姿を現してくださる。
邪心を捨てて純粋に聖なるものを求め続けよ。
この世の無常なのもを求めて何の意味があろうか。
人生を神に捧げ、他者の幸せのために捧げ、修行に捧げる。
なんと幸せな人生であろうか。
自己を打破る
他人には優しく、自分には厳しくあらねばならない。
人にはいつも寛大な心で向き合い、自分がどうであるかは厳しく正しくみなければならない。
放っておくとエゴや甘えが出て、悪き習性によって悪きカルマを生じさせる。同じことを何度も繰り返してしまう。
断ち切らなければならない。私は自己の汚れた心を、弱い心を、怠惰な心を、暗い心を打破りたい。自己を超えて行きたい。そのために向上心を持ちひたすら努力しよう。自己の限界を超えるのだ。
心には、精神には限界はない。
人生は短い。死は必ずやって来る。だから気づいている今、最大限に努力しなければもったいない。
今弱いなら強くなればいい、汚れているなら純粋になればいい、狭い心なら広い心になればいい。
その悪き自分は本来的なものではなく、過去の経験からくつられたものだから。
自己の心は自分で変えることができるのだから。