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  • 日々の気づき

2021.11.16

少しづつでも

日々ちょっとづつでいいから心を透明にしていこう。
みんなの幸せを願おう。何か行動できなくても、善い行いが出来なくても、いつもみんなの幸せを願っていよう。
いろんなカルマが噴出して自分も苦しくても、みんなの幸せをいつも願っていよう。
出来ないことではないはず、今まで作ってきた強固な利己的な習性があるから難しく感じかもしれないが、最初は偽善的でもいいからやり続ける。そういった日々の24時間の努力でしか心は変えられない。
そうして心がほんのちょっとづつでも透明になっていけば、本当のありのままに世界がみえるだろう。
どこにいても何をしていても幸せであろう。
この世界にけがれが見えるのは自分の心が汚れているからに他ならない。
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2021.11.09

心の浄化

この世界に生きているからには人に良い影響を与えたい。それこそが人の存在意義だ。
だが真に人に良い影響を与えるには自分の心が浄化され純粋でなければいけない。
愛着や嫌悪や迷妄で曇った状態で人の助けになれるだろうか。
それはまさに泳げない人が溺れている人を助けようとするようだ。相手にとっ
てもマイナスになりかねない。
だから日々修行して心を浄化し、もっと他者のために役立つようになる必要がある。同時にこれは自分にとっても大変メリットのあることだ。本来の無限で自由で至福である状態へ還る道であるから。
ヒーラーになりたい人や癒しを行いたいというひとは多い。これはよいことだが、自分の穢れをそのままにして人を癒すことは歓迎できない。いまの自分の精一杯で人に良い影響を与えるように生きながら、日々一歩でも自分を浄化し純粋な本性に近づく努力が必要だ。
自分のためにも人のためにも、まずは自分の心を浄化することだ。
心がすべてなのだから。
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2021.11.04

明け渡し

明け渡し
ヨーガ修行を日々しながら、他にもやらなければならないこと、そしてやりたいこと、やった方がいいと思うことが結構ある。
修行優先で、自分の煩悩を満たすことに時間をとることはやめていけばいい。しかし他者のため、他者の利益に少しでもなることはなすべきである。そう思い今日書き留めてみるようにした。

最近亡くなったスピリチュアルヒーラーのアンジェラハートフィールドさんのガネーシャのカードを彼女が亡くなってから時々使っている。スピリチュアルからは離れて修行しているのだが、ガネーシャが私を守護してくれていることもあり久しぶりにお客様の依頼以外でオラク
ルカードを使った。

今日はお気に入りのSURRENDER、降伏のカード。これはどのカードセットからも昔からよく引くもの。最近になってようやくこのカードの真の意味がわかってきた。

完全なる明け渡し、完全に神に身を委ねること、エゴを少しも差しはさまないこと。
これが促されている。すぐには無理でもそこに向かっていく。
一歩づつでも構わない。
そこに向かって、少しづつエゴを手放していくと、どんな状況をも軽やかな広がった自由な感覚で体験できる。
エゴはこれがいい、これはいやだ、こうなってほしい、ああなったらいやだと、
期待と恐怖、愛着と嫌悪によって心をコントロールしている。私たちはいつもエゴに心を明け渡していたわけだ。
こうやって生きている限り、苦しみの因は増えていく。
それに気づき、そのエゴのハマっている様々な二元性(幸・不幸、快・不快、賞賛と非難などなど)を離れ、
大いなるもの、聖なるもの、神に心を向ける。そうすれるこどで、私たちは大いなる意識、聖なる意識、神の意識、本来の無限の意識へと還ることが出来る。

すべては神の意志、神の愛として起こっているのだから、この意味でも、何かを期待したり要求したり、恐怖したりすることはおかしい。

心は聖なるものに明け渡し、聖なる意思のもとで全力で行動するのだ。
だが心はこのガネーシャのカードのように聖なる美しい場所でくつろいでいる。
そうありたい。
そしてそうあろう。

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2021.08.03

すべては神の愛

この世界のすべてを神の愛としてみる。自分の人生に起こることをどんな小さなことも善きことも悪しきことも神の愛としてみる。
出来る限りこのように生きていると、本当に神よってすべてが起こっていて、神の愛と存在を感じられることがある。その瞬間は、自分の人生がずっと神によって導かれてきたことがわかり、神の愛を身近に感じる。だからこの感覚が去ってしまわないように、忘れないように、いつも神の愛を思い生きることが大切なことのすべてだ。
真実、すべては神の愛だ。だが私たちは穢れてしまいそれに気づけなくなってしまった。
すべてを神の愛と捉えて、苦難も悲しみも痛みもすべて感謝して耐えていけば、心は強く大きくなり、穢れは落ちて、本当に神の愛がわかるようになる。そうなればすべてが喜びであり感謝になる。それまでは、意識してすべてに感謝するように修習する。すべてを神の愛だと思うように修習する。すべての人を神だと思うように修習する。
幸せな修行だ。
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2021.07.26

いと深きヨーガ

私が幼い頃、家に『母と子のヨーガ』という本があり、載っていた白黒写真を見てアーサナをやっていた記憶がある。それが夢なのか本当の記憶かわからないが鮮明だ。なぜかアーユルヴェーダを勉強しヘナハウス沙羅の樹を始めた頃から悟りや解脱といったことに強く惹かれそれが人生の目標になった。それまでは幸せな環境にいながらも世界への嫌悪や虚無感を持って生きてきた。
目標が定まると瞑想や神智学や気功やスピリチュアル、エネルギーワークなど役に立つと感じたものを自分なりに体験してきた。
だがヨーガに関してはヨーガが解脱のためのものだとは知っていながらもあまりやる気にはならなかった。なぜなら過去生においてヨーガの修行をしてきた記憶がおぼろげにあるのに、今生まだ人間として無明をいきているのだから今回は今の時代の新しい方法を試した方がいいだろうと思ったからだ。それでも縁があり十数年前からヨーガもやりはじめた。
昨年から聖なる師の教えによりヨーガ修行の道を本格的に歩み始め、本当のヨーガの深さと素晴らしさが心に染みる日々を送っている。
真のヨーガの道という素晴らしい祝福を手にし、真のヨーガの実践が私を導いてくれていると確信する。全力で到達出来るとこまで行きたい。

ヨーガについて聖師・松川慧照先生が説明している分を以下に引用する。

「ヨーガ」という言葉には、「合一」や「コントロール」的な意味がある。そしてその真の意味は、人の本質である「真我」を悟り、そして宇宙の本質である「神我」を悟ることだ。そしてさらにいえば、この真我と神我が同一であると悟ることだ。

例えば大海の中に、海水の詰まったガラスビンがある。これが今の私たちの状態だ。このビンの中身の海水は周りの海水となんら変わりない。しかしこの透明なビンの壁があるがために、私たちは自己という区別を持ち、このガラスビンこそが「私」であると錯覚している。ヨーガというのはこのガラスビンを叩き割る。そうすると、中の海水は大海と一体化し、大海としての自己と宇宙の本質を悟るのだ。本来ヨーガの究極の目的はそういうことであり、そこにいたるための方法はすべて「ヨーガ」なのだ。  (ヨーガスクールカイラス発行「虹のヨーガ」より)

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