すべては神の愛
唯一の実在である神だけがある。
この世界は神で満ちている。
出会う人すべても神。
これを知っている私はとても幸せ。
知識としての知っているではなく実際にすっとその境地、その知覚で生きれれば至福。
人生の中でのどんな事も神の愛なので喜んで受けとろう。
だからなんの不満もないはず。
その愛に応えられるように全力でがんばろう。
なのに心が暗くなったり、怠惰になったりする。
だからいつも思いだそう。神を、無限の神の愛を、神とともにある喜びを、神へと向かっていける喜びを!
すべてに神をみて、心を常に神への愛で満たそう。
そしてその愛によって誠実に献身して、みんなを幸せにしたいから、
もっと修行して自分を高めよう。
幸福の種
この世界で起こることはすべて「因」があっての「結果」です。
カルマの法則ですね。すべては自分の過去の想いと行いが報いとしてかえってきているわけです。
過去の善い行為が幸福に、悪い行為が不幸になってかえってきます。
なのにそれを忘れて“なぜ自分がこんな目にあうの?”と嘆いたり、人を批判したりしてしまいます。
自分が蒔いた「不幸の種」が芽を出しただけ、それで不幸の種が一つきえるのだから喜んで収穫すればいいのです。
実際不幸の種をいっぱいあったら心が安定せず重くなりがちなので、少しでも減ったほうがいいですよね。
そして今後不幸の種を蒔かないように意識することが大切です。
それから幸福の種をたくさん蒔きましょう。そうすればおのずと幸せになります。
幸せを願っているなら善い行いをする。人を幸せにする。それが確実です。
自分が幸せではないと文句ばかりいって人を批判していたらその人は不幸の種だけを蒔いているので不幸にしかなりえません。
だから人の幸せが私の幸せ。
与えることは受け取ること。
毎日出来る限り幸せの種を蒔いて、みんなが幸せになったらいいなあ。
そうなったら自分の幸せなんて願わなくても幸せなんです。
これが理想です。
無限の幸せ
他者の幸せが幸せ
他者の悦びが喜び
他者の苦しみが苦しみ
これが本当の私たち・・・
そこからだいぶズレてしまって
自分の幸せを一番に考えるように、自分のこと、自分の利益を一番に考えるようになってしまった。
もっとひどい場合自分のことしか考えないようになっている。
とんでもなく落ちてしまったものです。
そんな状態にようやく気づき、危機感をもち、自分のことは考えず他者の利益を他者の幸せをいつも考えるように意識し出した。
長い長い間の習性である“自分のことを第一に考える”を何としても超えて行こう。そうでなければ私が真に幸福にはなれないのだから・・・。
出来る限りこのように生きていると幸せや喜びが何とたくさんあることか、人の幸せが全部私の幸せ・・・
まさに幸せがいっぱいです。
自分の幸せは限りがあるが、みんなの幸せが自分の幸せになった時、幸せは無限にある。
その分苦しみもいっぱいあるが、人の苦しみをただ一緒になって苦しむのではなく、どうやったら苦しみがなくなるかを自分のことのように真剣に考える。他者の利益や幸福のために尽くす。そうしたらまた幸せが増えます。
そんなふうに生きていると神様からも守り助けて頂き、やっぱり幸せなわけです。
そして増々頑張れるし、本当もっと頑張りたい!
みんなのために。
全力を尽くす
私も20年近く様々なスピリチュアルな探求をしてきました。現在ではスピリチュアルもメジャーになり、そこでは‘ありのままの自分を愛しましょう’と言うメッセージも耳慣れたものになっています。私も必要な時にはこのようなメッセージを個々にお客様にお伝えしてきました。
「そのままでいいんだよ」
「ありのままで」
「ありのままの自分を受け入れて」
「喜びをいきましょう」
これらの言葉は間違ってはいませんが大いに誤解を生むと思います。
他人についてはこのようにそのままを受け入れて愛することを実践すれば素晴らしいと思います。
でも自分に関してはどうでしょう。
私たちは自分のことばかり考えて生きています。この煩悩だらけのエゴのありのままでいいのでしょうか、それで本当に幸せでしょうか。
無限の愛ですべての存在の幸せを願いたい、
そう思っても思っても気が付けば自分のことばかり考えて生きている。でも諦めずに利他の思い、利他の行為を実践し続ける。
心が折れても、すぐに立て直して、常に全力を尽くす。それくらいやらないと出来ないことをしようとしているんだ。それくらいエゴは根深く立ち退かない。
それでもあきらめずに熱意をもって常に全力で取り組むなら、いつか心の本性である無限の愛ですべてを包み込めるようになるだろう。
そう思って努力奮闘するしかない。出来ることを全力でする。
努力しなければずっとこのまま、狭い心のごまかしだらけの自分であり続ける。
だったら自分自身の真の幸福のために、苦しんでいる人を助けるために、苦しんでいる人に少しでも安らぎをあたえられるように、惜しみなく努力しよう。
きっと誰かを幸せに出来るだろう。
沙羅の樹のお客様の中にも同じ思いで頑張ってる方々もいて、こんな話で共感できることも多くなって、この世界には光もあるということをみせてもらえます。
他を照らす光であれるように、そして光として働く人々をサポートできるように常に全力で在りたい。
心を大きく広げて
10年以上前に高橋信次さんの本をよく読んでた頃、心は宇宙大に広げることが出来るということに感動し、心を広げたいとただただ思って他のヒーラーさんのセッションを受けるときに、「心を無限大に広げたいんです」などといって相手が少し困ったふうだった。
自分でやるしかない。そして許しの実践や愛の実践を私なりに中途半端でもやってきて、さて心は広がったのか。
以前の自分に比べたら広くなった。でもこんなもんじゃないということだけはわかる。
もっともっと大きくひろげてすべての出来事を感謝して受け入れたい。
そしてすべての存在を愛したい。
もっと心を広げて人々を心で抱擁したい。
苦しんでいる人を助けたい。
平和な心で世界に平和を広げたい。
心を広げるにはいろんなものに耐え忍ぶこと、忍辱精進も重要だ。
純粋で光輝く大きな心・・・
そうなったらどんなに幸せだろう。
努力すればそうなれる。本当はそれが私たちの本当の状態なのだから。
そのためにこの一年全力で精進しよう。