自分に取り組む
私たちはこの世界で、喜びを求めることと苦痛を避けることの間で振り子のように揺れ動き苦しんでいる。求めたものを得ても今度は失うことえの苦しみをえることになる。マインドの喜びを求めること、苦痛を避けること、これらに忙しくしている間は平安は得られない。一時の平安を得れたとしても永続しない。
私たちの真我は永続する平安そのものなのに………。
本当の私たちは永遠に光り輝く愛と至福です。これを知り、日常の様々な経験に自我で反応せずに、気づきと愛を養い、意識的に対応していくことを練習しよう。そのように自分に取り組むことにまず慣れればいい。うまく行かなくたっていいんだ。うまくいくいかないを気にするのは自我。真我はかわらむ至福のなかにあり、自我ではなくて真我を選択すること。そのように日々の一瞬一瞬を使っていこう。
忘れてないで!外側の何かに取り組むんではなく自分自身に取り組むんだよ。
光輝く真我=神が手招きしてるから。
和顔愛語
お釈迦様も仰っているダルマは実践しなければ意味がない。
よい教え聞いてを聞いても実践しなければ意味がない。知っているだけでは価値がないのだ。
和顔愛語、縁あって学ばせて頂いた高橋佳子先生、ヨーガの師である田原豊道先生から教えて頂いたことのひとつだ。お二人ともたまに厳しいことを仰っても、終始和顔愛語の人であった。真のマスターは自分が説いていることは実践できている人だ。
私はというと・・・さらなる修習の必要がある。
今日から和顔愛語!
どんな時も、どんだ状況でも!
和顔ー穏やかな顔、和やかな顔
愛語ー口からでる言葉が
温かいものである
心安らぐのもである
人を力づけるものである
明るい気分にするものである
言葉は気をつけないと人を傷つけたり惑わせたりもするが、
言葉を愛語として他者を幸せにする他者への贈り物にも出来る。
また投げかけたものが返ってくるので、結局は自分も贈り物をもらうことになる。もちろん、見返りを求める気持ちは捨てて行じるのだが。
今日のこの思いを忘れずに実践を深めることができますように。
意識的な実践が自然なものとなるまで。
愛ある人生を生きる
愛のない人生は水のない砂漠のようなもの
乾いて、生命を潤すことなのできない。
だから心をオープンにして周囲にあいを流していこう。
たとえどんな状況でも、愛せないと感じていたとしても大丈夫。
あなたは愛だから、ただ愛を選択すればいい。
そうしていけば生き生きとした人生となる。
愛🟰生命だから。
すべてのすべて
神は完全であり完璧であり、
すべての全てであり、円満で欠けるところがない。
神は永遠であり、普遍で、不変であり、
愛であり、光であり、叡智であり、唯一のパワーであるので、
安心でき、信頼でき、信愛をもてる。
それゆえに平安と幸福が現れる。
この世界は神の世界とは逆で恐れや欲望に満ちているように見える。
それもかみの内側であり完全で完璧なのだ。
神の世界を選択してみよう。
すべてのすべてであり、愛である神を見つけてみよう。
そこかしこに見つかるはずだ。
苦しみの原因
過去の出来事をすべて受け入れる。
現在起こっていることもすべて受け入れる。
これから起こることもすべて受け入れる。
人生のすべてを受け入れる。
人生に抵抗するのをやめて、人生のあるがままを認めてゆだねる。
あるがままを受け入れる。
これができれば人生の様々な苦しみから解放される。
もの、人、ことのあるがまま。
世界のあるがまま。
自分自身のあるがまま。
すべてはこの宇宙、神の内側ですでに受け入れられて愛されて存在している。
すべては神によって起こるべくして起こっている。
これに気づけばすべてをあるがままに愛せる。
すべてをあるがままに受け入れること
これが苦しみからの解放。
すぐには受け入れれなくても、受け入れたいという姿勢で神に委ねればいい。
難しいけどシンプルなこと。
淡々とシンプルに実践しよう。