どれだけ
たとえばどれだけあなたが神の意志に反し、真理に反し、自己の良心に反して何かを得たとしても、その得たものはどれだけ永続するのだろうか。
たとえばそれがお金だとして、そのお金はどれだけで使い切ってしまうだろうか。
たとえば何かの快楽だとして、その快楽はどれだけ続くのだろうか。
たとえば勝利やプライドや名誉などの自己満足だどして、それにこだわっていられる時間はどれだけ続くのだろうか。
たとえば一時的な自己保全、自己の安らぎの確保だとして、その安らぎや安全はどれだけ続くのだろうか。
そしてそれらが終わりを迎えたとき、正気に戻ったあなたは、どれだけ後悔するのだろうか。
ならば今誠実な方法を取った方が良い。
後悔しない生き方をした方が良い。
一時的に苦しくても、大変でも、損に思えても、絶対そっちを取るべきだ。
わずかな時間で終わる喜びよりも、永遠の喜びに続く道を取った方が良い。
ヨーガスクールカイラス発行『松川慧照エッセイ集10』より
幸福の秘訣
人生を楽しむのは良いことですが、幸福の秘訣は、何事にも執着しないことです。
花の香りを楽しんだら、その中に神を見なさい。
私は自分の感覚を、いつもそこに神を感じ神を思うためにのみ使ってきました。
「私の目は、万物の中にあなたの美をみるために作られました。
私の耳は、あなたの偏在の御声を聞くために作られました。」
このような神との一体感がヨーガです。
神を見つけるのに、森や山奥に入る必要はありません。
執着は、自分自身を世俗的習慣から抜け出させるまでは、どこに行ってもついてきます。
ヨーギーは、自分の心の洞窟で神を見つけます。そして、どこに行くにもその意識を持って行き、いつも神とともにいる至福を感じています。
人間は、肉体に束縛された感覚意識の中に落ち込んだため、そこから生じる我欲、怒り、嫉妬などの歪んだ想念に支配されるようになりました。神を見つけるには、こうした心の歪みを追放することが必要です。
東洋人、西洋人を問わず、人は皆、感覚への隷属状態から抜け出さねばなりません。
朝コーヒーが飲めなかったからといって腹を立てたり頭が痛くなったりする人は、習慣の奴隷になっている人です。どんな習慣にも束縛されないのがヨーギーです。
ーヨーガナンダ
ヨーガスクールカイラス発行「松川慧照エッセイ集5」より
幸せ
人生で一つだけ決まっていることがある。
それは必ず死ぬということ。
それはいつ来るかわからず、
そして仮に長生きしたとしても、数十年という短い時間しかない。
その残された短い時間を、どのように生きたいのか。
みんなの幸せのために生きたい。
あるいは、ただ純粋な主の道具となりたい。
そう思える人は、幸せな人だ。
そこに答えがある。
ヨーガスクール・カイラス発行『松川慧照エッセイ集』より
花のように
決して過去に心を残さない。
一瞬前にも心を残さない。
常に新鮮な意識で世界をみる。
わざわざ過去を回想しない。リピートしない。
もちろん、自分の心を高みに向けて鼓舞するような、神聖な意識や教えは、ひたすらリピートする。
その新鮮な心の土台の上で。
その上で次に起こることはすべてお任せ。
この人生すべてが、神への供物。捧げもの。
野に咲く花のように。
風に吹かれても人に踏まれてもただ捧げものとしての人生を気高く生きる。
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集9』より
少なくともかなり
他者の批判をやめる。
他者のアラ探しをやめる。
他者を傷つけることをやめる。
他者への攻撃をやめる。
すべての他者に幸福を与える。
自分が批判や攻撃されたり、誤解されたりすることを、カルマの浄化として喜ぶ。
自分(エゴ)を守らない。
自分(エゴ)を傷つけられることを恐れず、エゴの破壊のチャンスと受け取り、教えによって苦しみをい昇華する機会とする。
自分を守るために言い訳をしない。
自分を守るために他者を否定しない。
ただひたすら、理想を追求する。
常に心を、広大なる、心髄なるものに置き続ける。
そこには笑顔があり、歓喜がある、あの場所へ、心を置き続ける。
人々は無責任に様々なことを言う。
ただ神やブッダが分かってくれればいいと考え、
逆にいえば神やブッダの意に沿うように、正しい思い・言葉・行為を保つ。
ただひたすら、理想通り生きる。
このようにするならば、
少なくともかなり幸せになるでしょう。
ヨーガスクール・カイラス発行 『松川慧照エッセイ集10』より