何者でもない私
何者でもない私としてある
自我を脱ぎ捨てて何者でもない私としてある
これがありのままということ
ここに救いがあり、光がある 平安がある
でも自我は立ち上がり特別であろうとする
常に何かを獲得しようとし、自分をよく見せようと装い、特別であろうとする
つまり自分ではないなにものかになろうとしている
それに気づく機会はいつもある
気づき立ち止まって、深呼吸とともにいまここでないものすべてを手放して、何者でもないそんざいの至福に帰ろう
ありのままの自分に
自己を預ける
天地を信頼して自己を預けきって座る
これが瞑想であり、あるがままであり、ただある。
すべての考えを脇に置いて安息のために源に帰ろう。そこでただ響き合おう。
そこには個はなく全体、すべてのすべてがある。
そこには私はいない、すべてはひとつ、もともとひとつ。
ここに生きよう、自我のために生きるなんて意味がないよ。
自分に気づくとは
自分の考えの中に自分を見ていることに気づいて気づいて増やしていこう
考えの中にいる時は自分の光もまわりの光も見えないよ
止まってみる
瞑想を出来ないときも日常のちょっとした瞬間動きを止めてみる。
小休止して「私」を脱落させてみる。
リラックスして活動をやめてとき、初めてわかる。
すべては神からきている。
そして私たちは神の拡張体、源泉そのものではないけれども神と同じ質を持っている。
神と一体である
神と一体であるという知識
それを意識的にに認識すること
それが救いのすべてです
これが自由への開かれた扉です