自己を預ける
天地を信頼して自己を預けきって座る
これが瞑想であり、あるがままであり、ただある。
すべての考えを脇に置いて安息のために源に帰ろう。そこでただ響き合おう。
そこには個はなく全体、すべてのすべてがある。
そこには私はいない、すべてはひとつ、もともとひとつ。
ここに生きよう、自我のために生きるなんて意味がないよ。
自分に気づくとは
自分の考えの中に自分を見ていることに気づいて気づいて増やしていこう
考えの中にいる時は自分の光もまわりの光も見えないよ
止まってみる
瞑想を出来ないときも日常のちょっとした瞬間動きを止めてみる。
小休止して「私」を脱落させてみる。
リラックスして活動をやめてとき、初めてわかる。
すべては神からきている。
そして私たちは神の拡張体、源泉そのものではないけれども神と同じ質を持っている。
神と一体である
神と一体であるという知識
それを意識的にに認識すること
それが救いのすべてです
これが自由への開かれた扉です
自我の壁
私たちは多くの場合に自我のフィルターで現実をみている。
それぞれの人がその人のものの見方によって、ただ起こっている出来事にフィルターがかかり全く違ってみえている。あるがままをみることができない。
この自我のフィルターが剥がれたとき、世界はありのままに美しい。
その美しさに気づく時、自我の私はいない。
自我の壁が光を見えなくしていたんだ。
この次元にいまここに高次元も重なって存在している。でも自我の障壁となって高次元を隠しているだけ。自我の壁が外れるといまここに高次元が現れる。
いまここに至福である。