愛することは善をみること
人は毎日の生活で、そう行動が自然に愛の人であるようにならねばなりません。
愛とは感傷や感情じゃありません。愛とは善を見ること、神をみること、生活を通して因果の法を理解することです。
愛するとはすべての人に寛容であること、日常生活のすべての出来事に我慢があることです。すなわち辛抱、思慮深さ、親切とか柔和、そうあることです。
以上のすべての性質を一言で包含した言葉が、愛です。
ホワイトイーグル
神の中でいきること
愛することは、神の中で生きることです。
愛に生きるとは、神の中で生きて動くことです。
その思いと行為の一つ一つが神の中にあって、
世俗の中には一つもないほどにです。
人が愛を抱く時、決して破壊と死の波動に感応することなく、生命に溢れた波動に感応します。
ホワイトイーグル
忘己利他
これ以上、何をいうことがあるだろう
己が利益のための子供じみた行為
他者の利益のための覚者(ブッダ)たちの行為
その違いをみるがいい
苦しむ人々に
私の幸福を差し出さなければ
私が覚者(ブッダ)の境地にいたることはないだろう
輪廻のなかで真の喜びを得ることすらないだろう
シャンティデーヴァ
六聯の金剛の詩
目にみえる現象は多様なあらわれを持っているけれど、
この多様さはもともと二元論の彼岸にある。
無限に多様なもののどれ一つとして、限りある概念のわくにおさまりきるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義づけようとする罠から解き放たれるのだ。
そうすれば、すべての形あるあらわれは、
形を持たない無限がしめすさまざまな表情にすぎないし、
そこから切り離すこともできないから、
そのままで完全なものだということになる。
すべての始まりから、あらゆるものがそのままで完全だということがわかれば、
何かを達成しようとする努力は、すべて放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまっているだけで、
不二の三昧の境地が自然に生じ続ける。
ナムカイノルブ著「虹と水晶」より
苦の因果
感覚によって、欲(渇愛)が生れる。
欲(渇愛)によって、求める。
求めることによって、(物を)獲得する。
獲得することによって、(価値を)判断する。
判断することによって、熱望と貪りが起こる。
熱望と貪りによって、執着する。
執着によって、所有欲が起こる。
所有欲によって、物惜しみが起こる。
物惜しみによって、(所有したものを)守る。
(所有したものを)守るがために、
闘争、喧嘩、非難、嘘など、あらゆる悪しき不善な諸現象が起こる。
長部経典