忘己利他
これ以上、何をいうことがあるだろう
己が利益のための子供じみた行為
他者の利益のための覚者(ブッダ)たちの行為
その違いをみるがいい
苦しむ人々に
私の幸福を差し出さなければ
私が覚者(ブッダ)の境地にいたることはないだろう
輪廻のなかで真の喜びを得ることすらないだろう
シャンティデーヴァ
六聯の金剛の詩
目にみえる現象は多様なあらわれを持っているけれど、
この多様さはもともと二元論の彼岸にある。
無限に多様なもののどれ一つとして、限りある概念のわくにおさまりきるものはない。
「これはこうだ」とか「それはああだ」と定義づけようとする罠から解き放たれるのだ。
そうすれば、すべての形あるあらわれは、
形を持たない無限がしめすさまざまな表情にすぎないし、
そこから切り離すこともできないから、
そのままで完全なものだということになる。
すべての始まりから、あらゆるものがそのままで完全だということがわかれば、
何かを達成しようとする努力は、すべて放棄される。
あるがままの自然な状態にとどまっているだけで、
不二の三昧の境地が自然に生じ続ける。
ナムカイノルブ著「虹と水晶」より
苦の因果
感覚によって、欲(渇愛)が生れる。
欲(渇愛)によって、求める。
求めることによって、(物を)獲得する。
獲得することによって、(価値を)判断する。
判断することによって、熱望と貪りが起こる。
熱望と貪りによって、執着する。
執着によって、所有欲が起こる。
所有欲によって、物惜しみが起こる。
物惜しみによって、(所有したものを)守る。
(所有したものを)守るがために、
闘争、喧嘩、非難、嘘など、あらゆる悪しき不善な諸現象が起こる。
長部経典
正しい行動を
汚れた心で行動したり話したりするなら、
苦しみはその人につき従う。
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。
清らかな心で行動したり話したりするなら、
幸せはその人につき従う。
影がその身体から離れないように。
ダンマパダ
離欲の幸せ
欲望によりエゴの喜びや楽しみを手にする幸せ、これは一時的な幸せであり、環境や条件に依存した不安定なものであり、これに頼るほど、求めるほど、実は苦しいのです。
様々な執着を手放す、離欲の幸せがあります。煩悩を刺激する様々な情報が入ってくる現代人には難しいかもしれませんが、欲から離れるほどに安楽となります。手放せば手放すほど幸せを感じます。
この物質世界で、「これがあれば幸せ」というのは誤った思い込みであり絶対的なものではありません。
実際に物を捨てなくてもいいので、日々の心においてはとらわれず、捨ててみよう。