内側へ
私たちの意識はいつも外に向いていて、心はあれこれ忙しい。
意識を内側に向けて、その反応している心に気づこう。
永続的な平和を見つけるには、本当は自分は誰かを思い出す必要がある。
私たちは自分ではないものを自分だと思いこんでいる。自分ではないもと同一化するのをやめて手放そう。まずは自分ではないものに気づくこと。
自分ではないものとは、変化するもの一時的なものすべてだ。
真の幸福
人の生き方はそれぞれ、みな、仕事や家庭、学問や芸術、スポーツ、様々な趣味などに情熱を傾けて充実した人生を生きているようにみえます。様々ことに心と体を忙しくして一生懸命生きている。心と感覚の喜びを楽しみ、それを幸せとして生きている。でもそのような喜びや楽しみは一瞬のものであり、執着が増し、エネルギーを消耗する。世俗の幸福を求めて生きることで実は心が曇ってしまうのではなでしょうか。世俗での豊かさは無常です、変化し、いずれは消えていきます。地位も名誉も財産も家族も、死のときにはすべて失います。また無常の中で安定を求める心は深い部分では平和がなく不安です。
真の幸福は外側にはなく、内側にあります。自分の内側に永遠の喜びがある。
私は日々そこに向かって旅をしている。無限愛と無限の喜びが湧く聖なる場所・・・
その場所に常にいて、その源の愛ですべてを愛し世界に愛が増えるように心と体を使っていきたい。そしてみながその聖なる場所に辿り着く助けとなりたい。
外側には何もないよ。
旅をするとか、辿り着くとか表現したけど、ほんとはすでにそうなんだ。
だがそれに気づく必要があるだ。
本当の自分
本当の自分、本来の自己、魂、真我………
いろんな言い方をしますがそれが何かは説明できるものではない。
自分でそれに出会ったとき、知ることができる。
ヨーガで言えば、サット チット アーナンダ 純粋 意識 至福
誰もが内側に愛そのもの、至福そのものの本当の自分がいる。それは純粋な存在であり大いなる神からわかれた神の子、それは神の分身のように神の無限愛、無限の光を湛えている。その存在にただ帰りたい。日々心が揺れる様々な機会は帰ることを忘れてしまってたことを思い出させてくれて帰る選択を思い出させてくれる。
人生のすべてがありがたいんだ。
Yesにする
苦しみはすべて自我ゆえ。
だったら自我を辞めればいいのだが、自我は抵抗と執着でマインドに居座る。
じゃあ自我がNOと言っているものひとつひとつにYESと言おう。
過去の過ちやいたらない部分、自分にも他者にもOKを出そう。
あらゆるNOをYESにかえよう。そうやってるといかに多くNOを出していたかに気づける。これでは自分がしんどいよね。
本当はすべてを愛したい、愛せなくてもまずOKをだして、NOをYESにかえよう。
抵抗するのではなく、闘うのではなく、理解し受け入れよう。歓迎し、感謝し、抱きしめれればさらにいい。
自分とすべてを愛そう。
真我は無限の愛なのだから、真の私は愛することしかできないはずだ。
心を超えていく
心ころころ……
心は常に成長を続けているようでも、いろんな場面で不満に思ったり、恐れたり、怒ったり、悲しんだり、たえず揺れ動く。時には心の状態は悪化して体にまで影響します。
ネガティブな心の動きだけではない。好きになったり、何かを強く求めたり、いろんなことに忙しく心が休まらないのです。でもそうやって絶えず動きまわるのが心の特性なのでは………
どんな心も否定することなく、理解し、感謝し、受け入れて、心のさらに奥にある揺れない存在、真の自己、真我、内なる神にフォーカスしよう。
それはいつもそこにあるのに、本当はそれしかないのに、私たちは違うものを見ているだけ。
真我であり、愛であり、神である自分を選ぼう。