平等心
すべてを平等に見る心を養おう。
私たちの心はこの二元の世界の中で常に損得や苦楽、愛着と嫌悪などにとらわれている。
そんな不自由な心でどうする。それで本当の愛や慈悲が持てるのか。
それらの自己の観念捨ててて一切を平等に見ることができれば自分自身が幸せである。そして、人をも幸せに出来るだろう。
一切を平等にみる。他者に対する見方、人生に起こるに対する見方、嬉しいことと嫌なこと、利益と被害、苦と楽、あらゆる幸不幸を心において平等にとらえる、これはかなり大変なことだが、これを為さねば真に高い境地には至れない。
だから日々心をチェックして出来る限り平等に思う努力をしよう。
日々の些細な出来事をもすべて自分を引き上げる修行に変えよう。
心を大きく広げ、神に対して、すべての人に対して心を開き、奉仕しよう。
すべては与えられている
必要なものはすべていつも神によって与えられている。
必要なものは必ず与えられる。だから心配することはない。心配したり恐れる必要はないし、心配することは悪いことである。
ただ必要なものとはエゴが必要だと思うもの、エゴを満たすものではなく、神が真に私を幸せにするために必要なものをご用意下さるんだ。いまの時点でその神の御心が理解できなくても、エゴが嫌がっても、与えられたもの喜んで感謝して進んでいこう。そのように生きることによってのみ真の幸福へと至る。
いつも神の御手によって導かれているならなんの恐れがあろうか。
心に笑顔を
いつも心に笑顔を心がける。
内側で微笑みを絶やさない。
そんなことをしていると疲れるのではないかとエゴは思う。そんなことをしたって嘘じゃないかと。
私たちには悪い癖がついた。そして内側でしかめっ面をしている。それもつけてしまった癖で、ただの習性で本当の私ではない。
だから本当の私に還るためには、本来の心、つまり純粋で明るい心をまずつくるしかない。本来の自己と程遠い心で生きてたって苦しいだけ。
日々心を訓練して作り上げる。真に善なる心に。
それには日常の心乱す雑多なことが大変役に立つ。
心に笑顔を保て。
心に憂いを忍びこませていけない。憂いが苦悩を生じ、怒りを生じる。
それは自己と他者を苦しめる。
いつも明るい心を保てるように。それが自己とと他者を幸せにする。
正念正智
すべては自分の心が作っている。人生に生じる現象も、この世界も。
すべての苦悩は間違った観念、概念、汚れた心がもたらしているにすぎない。
よって心をよい思いで満たさなければならない。
そのためには正念正智。
24時間一瞬一瞬常に良い心を保ち続ける。(正念)
そしてちゃんとそれが出来ているか常にチェックし続ける。(正智)
良い心とは、四無量心、他者への慈悲、慈愛で溢れていること。
今の自分が心に穢れを有しているからこそ正念正智をしっかりと実践しつづけなければならない。
ありったけの愛
心の本性は広大無辺な純粋な愛、これだけが真の実在でありわたしの本性へである。
これが私と思っている私は過去のカルマの集積であり、過去の経験から出来た後天的なものである。よってその愛も見返りを求める愛であったり、限定的である。
それでも、精一杯エゴを捨てて心を広げ、ありったけの愛で生きよう。
いつもありったけの愛を人に与えよう。どんな時もありったけの愛を与えて続けよう。
そのように生きていればいつか真の純粋な愛にかわるだろう。