自分を捨てる
自分を捨てること、これが一番重要な気がする。すべてを神に委ねようとと生きていても自分を捨てていないならば何になるだろう。
自分とはエゴの自分、エゴは自分本位で煩悩だらけ、様々な愛着嫌悪をもち、愛情欲や物質欲などにとらわれている。そしてその自己保存の思いにより他人を批判し、未来を心配し、いつも何かを恐れている。
そんなエゴこそがすべての苦しみを作り出している。
それがわかったら自分を捨てれる。自分を捨てるってどうやって?いつも自分の幸せを願って生きているではないか。いつも人の幸せをを思って生きればいい。自分より人を大切に。
過去に聖人たちは見事にそうやって生きたではないか。彼らの生き方に感動しているだけではダメだ。
彼らはお手本を見せてくれているのだから。
だから彼らの習って進もう。
自分をすてて。
愛
愛を通して全世界をあなた自身のものとせよ。
のけ者が一人もいないように、敵が一人もいないようにせよ。
自己中心性がないようにせよ。
そして敵というような異質な観念は追い払ってしまえ。
全世界を愛によって一つになるようにせよ。
スワミ・プレーマーナンダ
ヨーガスクール・カイラス発行松川慧照エッセイ集9より
絶えず神を想う
この身体も心も考えも物質的な所有物もすべてわたしのものではなく神のもの。
そのように祈っていてもエゴは所有を主張したり、何かを求めたり、利己的な思いがでる。
だから絶えず神を想う・・・。自我の出る隙がないように。
過去生も含め今までずっと長い間エゴを作り上げ養ってきたのだから、自然にエゴがでるのは当たり前のこと。
このエゴが苦しみをもたらしているのにそれに気づいてもまだ使い続けるのか。
だから断固として捨てる。自分を捨てる。そして神をとる。
それだけが幸せ・・・。
そのために日々修行できることが幸せ。
自分を捨てて他人の幸せのために生きることそれが幸せ。
これは自己犠牲とは全然違って、かえって自己が一番幸せになる道です。
しかも永遠の幸せへと至る道です。
目標は高いほうがいい。
どこまで行けるかわからなくても絶えず前進!
真理の教えを学び理解できたら、後はひたすらに実践するのみ。
一瞬も気を抜くな
気を抜くと怠惰や慢心、様々な煩悩に支配される。それらがやってきても支配されないように。心から追い出すのだ。
これがなかなか出来ないなどと言い訳していてもしょうがない。
絶えず神を想うこと、これが一番有効な道だ。
この世界はすべて神で出来ているのだから何をみても神を想うことは出来るはず、そのように見えなくてもそのように見ていくのだ。
訓練すればいい。訓練しつづければ、少しずつ出来るようになってくる。
このように生きれることを喜びとして毎日生きよう。
絶えず神を想って。
神も絶えず私を見ていて下さる。
振り向くことなく
振り向くことなく
さげすむことなく
善いものを喜び
悪いものを直し
倒れたら立ち上がり
心から笑い
泣くのはこらえ
涙が流れても
前を見て笑い
すべてに感謝し
涙をながし
自分のためには泣かず
人のために泣き
すべてに神を見て
すべてに奉仕し
恐れることなく
道を歩め。
君の心の中にある最高の理想
それが現時点での、神から与えられた使命だ。
それを遂行せよ。
妥協は要らない。
保証などいらない。
ただやるだけだ。
成功とか失敗とかは、後で考えればいい。
誰にも言い訳することなく
間違ったら修正し
倒れたら立ち上がり
ただ道を歩め
できるなら走れ。
走ると転びやすくなるが
めげずに立ち上がり、走れ。
血だらけになっても、走れ。
人生は短い。
ヨーガスクール・カイラス発行松川慧照エッセイ集2より
修行の日々
喜びに満ちた修行の日々を送っています。
全力で修行すると誓ってからもまだまだ怠惰が覗いたり、エゴが出たりもします。
でも神がいつも私を見ている。
いつも私を励ましてくれている。
だからそれに応えたい。
私を神の道具として使ってくださいとお願いしながら、エゴに占拠されていてはいけない。24時間心を浄化して神に誠実にあれるように。
神への愛を忘れないように。
ただ愛だけがあればそれでいい。
エゴを価値のないものを欲しがるけれど、私は神への愛だけがすべてである。
神その無限の愛によりすべての存在に無限の恩寵をもたらしてくれている。なのになぜこの恩寵をみんなうまくうけとれないんだろう。
それはこちら側の愛が足りないから・・・。
神への愛が足りないから。
神への愛はすべての衆生への愛、衆生への愛が足りないから。
だからもっと愛を大きくしたい。
修行して、人々を手助けして、もっと愛を大きくしよう。
愛は無限なのだから。