まいた種が
まいた種が
芽となって出てきたのに
無明の眼には、それが敵に見える。
その芽を出すために頑張って種をまき、水をやってきたはずなのに
いざ芽が出てくると、それを芽と気づかず、敵とみる。
すべての現象を師と見るならば
この過ちは解消される。
すべては自らが、自らの成長のために
種をまき、出てきた芽。
それから逃げずに育て上げ
大きくなったら刈り取りなさい。
魂の成長という、真の収穫を得るのだ。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
リハビリ
何があっても怒ることなく
何にもとらわれることなく
ただ皆の幸福を願い、
神への愛で心は満たされている。
それが本当の君なんだよ。
しかしなぜかそこから離れてしまった君のために
神はリハビリをほどこしてくださる。
心を動かされるような様々な現象は、
まさに神のリハビリだ。
聖典はそのためのテキスト。
テキストと片手に、よろよろと立ち上がって、
つらいリハビリに立ち向かおう。
主治医は「100パーセント治るから、心配は要らない」と
おっしゃってくださっているから。
ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
純粋な見方
この世とあの世で経験する物事はすべて、自分自身の思いによって作り出された幻である。だが、こうした物事への執着が、さらに知覚を歪めるのだ。執着を捨てよ。そして、物事が実際に存在している通りに観察せよ。誰かに会うときはいつでも、あなたは、慈愛をたたえた微笑むようなまなざしで、彼らにお会いなさい。あなたは、人を傷つけようとする意志や欺こうとする思いをもつことを考えてもいけないのだ。他なるものを曼荼羅の諸尊が姿を変えて現れたものとみなすような、すなわち、あらゆる出来事を、“諸尊が演じるお芝居”であると解するような、あらゆる音をマントラやダラニとして聞くような、あらゆる思いを、空性を理解する智慧と一体化した大楽であるとみるような、純粋な見方を常に保持しなさい。これが密教的な生活の心髄である。 ―ダライラマ七世 ヨーガスクール・カイラス発行 松川慧照エッセイ集⑦より
こだわらない。とらわれない。聖を思う。
こだわらない。 とらわれない。 聖を思う。
こだわらない。
こだわらずに、一瞬一瞬、生まれ変わる。
一瞬前にもこだわらずに、一瞬一瞬最高のじぶんであろうとする。
これがまず第一になすべきことです。
そして、とらわれない。
過去に過ぎ去ったことには決してとらわれない。
別にこの世の楽しみを捨てろとはいわない。自然にもたらされた喜びは楽しんでかまわないが、
頭の中で、こうなりたいとか、こうでなきゃ嫌だというような、嫌悪にもとらわれない。
これが第二になすべきことです。
一瞬一瞬、こだわらずに最高の自分であろうとする。
そして、あらゆることにとらわれない。
そのうえで、あなたの好きな神・仏陀・聖者などのことをいつも考えて下さい。
まずはこれだけでも毎日続けたならば、とても自由で幸せになるでしょう。
松川慧照エッセイ集⑦『MEW』より
心がすべて
心がすべてです。環境がどうであれ、心がそれにとらわれず自由であれば、心が平安なら、幸せなはずです。
幸せになるには外側の現象に求めることをやめ、ただ自分の本来の内なる平安を見出すことです。
だから、心を美しく保つこと、心にいつも愛や慈悲をもつこと。
そしてたとえ少しでも、人を害するような思いをもってはならない。それは自分を害することでもあることがわかっていても、無意識で批判や愚痴が心に立ち上ってきます。
心がすべてと気をつけていても心はたくさんの悪しき反応をしています。
心と身体は繋がっています。心の穢れは体の経絡や気脈のつまり(エネルギーのつまり)になっているようです。だからヨーガのアーサナや呼吸法によって、エネルギーの流れがよくなれば、心の調御もスムーズになります。私も実践してみて、毎日呼吸法を実践することはおすすめです。
心がすべて。
だから毎日心を良き方向へ、聖なる方向で向けるように全力で学び修行しています。もちろんお客様へ全力でご奉仕するのも善き修行です。私が学んでいる中で、私自身のために私の心に刻み付けたい真理の言葉を最近書き写しはじめました。それがまた誰かの心に響けば
幸いです。