本来の役割を果す
この人生の目的は神の道具となること。
神の道具となって働くために生まれてきた神の道具である私を自分のために使っていては意味がない。
神に使って頂いてこそ道具としての本来の役目が果たせる。道具が自我を持って我欲を満たし間違った使い方をしていれば、道具が使い物にならなくなってしまうではないか。
だから常に心を神に向け、心を浄化し、慈悲の心を育もう。
純粋な神の道具として神のお役に立つように。
衆生の役にたつように。
本来の役割がhsたせるように。
今日与えられたものすべて
今日与えられたもの、様々な経験や事柄、出会い、物、良いものも悪いものもすべては神の恩寵によって与えられたもの。
それが良いとか悪いとか、嬉しいこととか嫌なこととか、これらはエゴの観念であり、神は私にとって一番よいものを与えてくれているのだ。だから今日与えられたすべてを神の愛として喜んで受け取ろう。
これがいいとか、嫌だとか、あれが欲しいとか、一切思わずに、すべては神の思召しのままに。
このように至福の道を進もう。
この道を進むにはエゴの破壊が必要だ。
日々エゴを薄めていって、神との絆を深めていこう。
少しづつでも
日々ちょっとづつでいいから心を透明にしていこう。
みんなの幸せを願おう。何か行動できなくても、善い行いが出来なくても、いつもみんなの幸せを願っていよう。
いろんなカルマが噴出して自分も苦しくても、みんなの幸せをいつも願っていよう。
出来ないことではないはず、今まで作ってきた強固な利己的な習性があるから難しく感じかもしれないが、最初は偽善的でもいいからやり続ける。そういった日々の24時間の努力でしか心は変えられない。
そうして心がほんのちょっとづつでも透明になっていけば、本当のありのままに世界がみえるだろう。
どこにいても何をしていても幸せであろう。
この世界にけがれが見えるのは自分の心が汚れているからに他ならない。
心の浄化
この世界に生きているからには人に良い影響を与えたい。それこそが人の存在意義だ。
だが真に人に良い影響を与えるには自分の心が浄化され純粋でなければいけない。
愛着や嫌悪や迷妄で曇った状態で人の助けになれるだろうか。
それはまさに泳げない人が溺れている人を助けようとするようだ。相手にとっ
てもマイナスになりかねない。
だから日々修行して心を浄化し、もっと他者のために役立つようになる必要がある。同時にこれは自分にとっても大変メリットのあることだ。本来の無限で自由で至福である状態へ還る道であるから。
ヒーラーになりたい人や癒しを行いたいというひとは多い。これはよいことだが、自分の穢れをそのままにして人を癒すことは歓迎できない。いまの自分の精一杯で人に良い影響を与えるように生きながら、日々一歩でも自分を浄化し純粋な本性に近づく努力が必要だ。
自分のためにも人のためにも、まずは自分の心を浄化することだ。
心がすべてなのだから。
神の道具として
沙羅の樹は集客や宣伝活動は全くしていませんが、それでも縁のある方々がホームページなどを見つけて訪れてくれます。
そんな新規のお客様が、たくさんのメニューがあり、興味があるものがいいっぱいあるがどれがおすすめかと尋ねて下さいますが、特にこちらからお勧めすることはほとんどありません。何を受けて頂くとしてもそのその施術の中に必要なものがもたらされることを知っているからです。何をしたとしてもそこに光がもたらされます。それは宇宙の創造主の光です。私は神のただの道具として出来る限り自分を純粋にするだけです。
アーユルヴェーダのサロンとして開店してからもうすぐ20年、その間にメニューが増えてしまいました。興味のあること、人のためにも自分のためにもなることは何でもやってきました。でも今はただ神の思召すままに、心は現世にとらわれず生きています。だから資格も手技もこだわらないのですが、私のできることで誰かを救えるならもっと高い次元でやって行こうと、日々エネルギーを高め心を浄化する修行に励んでいます。
私の日々の修行によって、縁のある方々が喜びに満ちた聖なる道を歩めますように。