断ち切って 繋ぎとめる
怒りが出た時、不満が出た時、欲望が出た時、執着が出た時・・・
全てすぐに断ち切って、心を聖なるものに結び付ける。愛や慈悲、そして神にしっかりと結びつける。
断ち切るだけでは力が弱い。神に心を結びつけることによって、恩寵によってエゴの低い修正を真に手放すことができる。
私たちの本性は無条件の愛であり、純粋な至福、無限の光である。それは神と一致している。
だから神と一致していない時は本当の自分からズレているわけだ。
だからズレを修正するためにはいつも神だけをを心の中に置き、神だけに意識を合わせるのが最善の方法だと思う。
神というのがしっくりこない方は、真我や光、宇宙の根源、無条件の愛などに心を合わせてもいいのだが、私には神がより身近に感じられる。
エゴが出たとき、嫌悪や否定が出た時、それらをすぐに断ち切る必要がある。断ち切れずにそれらを表現してしまったりすると増々悪しきそれらの習性が強まるだけだ。自分自身を注意深く観察して断ち切るべきものを逃さないように、そしていつも神に自分自身を繋ぎとめるように・・。
悟りへの道は自分の努力と神の恩寵によって進むもの。
いつも神だけに心を繋ぎとめておおけば、神は引っ張ってくださる。
だから、どんな時も喜びと感謝で進もう。
幸せ
人生でやりたいことを見つけた人は幸せだ。
生きる意味を見つけた人は幸せだ。
人生の目的や目標を見つけた人は幸せだ。
人生ですべてをかけてでも為したいことに見つけた人は最高に幸せだ。
すべてをかけても進みたい道に出会えただけでそれはすごいこと、それが大変な道でも出会えただけで幸せなこと、それを思ったら努力も喜び、苦しみも喜び、全力でその道進まなけれもったいない。いつも今の自分の全力で道を進む。全力で頑張ることによって開けないものはない。全力で、全身全霊で生きれることは何と幸せなことか。ヨーガ修行、真理の道に出会えた私は幸せであり、日々の修練は本当にすべてが喜びであるという境地に連れて行ってくれる。私たちの内なる光の本質に到達させてくれる。すべての存在もまた純粋な愛と光であったと教えてくれる。真にその境地を確定できるまで全力で修行しよう。そして他の人の幸せに貢献したい。そのために日々精進、それが幸せ。
どれだけ
たとえばどれだけあなたが神の意志に反し、真理に反し、自己の良心に反して何かを得たとしても、その得たものはどれだけ永続するのだろうか。
たとえばそれがお金だとして、そのお金はどれだけで使い切ってしまうだろうか。
たとえば何かの快楽だとして、その快楽はどれだけ続くのだろうか。
たとえば勝利やプライドや名誉などの自己満足だどして、それにこだわっていられる時間はどれだけ続くのだろうか。
たとえば一時的な自己保全、自己の安らぎの確保だとして、その安らぎや安全はどれだけ続くのだろうか。
そしてそれらが終わりを迎えたとき、正気に戻ったあなたは、どれだけ後悔するのだろうか。
ならば今誠実な方法を取った方が良い。
後悔しない生き方をした方が良い。
一時的に苦しくても、大変でも、損に思えても、絶対そっちを取るべきだ。
わずかな時間で終わる喜びよりも、永遠の喜びに続く道を取った方が良い。
ヨーガスクールカイラス発行『松川慧照エッセイ集10』より
心のベクトル
心のベクトルが正しい方向をむいているか、このチェックが必要だ。
心が真理、神、聖なるもの、人々への愛に向いていれば、確実に幸せに向かって行く。
心が自利、利己的な欲求に向いていれば、その欲求はかなったとしても、将来的には苦しみがやってくる。
神に向かって行っているか、神から離れていっているか・・・。
これは自己の本性に向かっているか、自己のの本性から離れていってるかと同じだが、この方向性が一番大切だ。
ベクトルさえ定まったら、熱意と努力で進むだけ。
ただこのベクトルが気が付かない間に我欲に向いてしまっていることがある。世間で生きていると気をつけていないと悪しき方向に向いてしまうのだ。それでは幸せになれないし、人を幸せには出来ない。ここで幸せと言っているの儚いすぐに終わる幸せではなく、永遠の幸せ、至福だ。
心のベクトルがあちこち向かないように、いつも神に固定しよう。
周囲を見ていても、ある程度心のベクトルがいい方向を向いている人は輝いている。
真に輝ける理想へ向けて邁進しよう。
幸福の秘訣
人生を楽しむのは良いことですが、幸福の秘訣は、何事にも執着しないことです。
花の香りを楽しんだら、その中に神を見なさい。
私は自分の感覚を、いつもそこに神を感じ神を思うためにのみ使ってきました。
「私の目は、万物の中にあなたの美をみるために作られました。
私の耳は、あなたの偏在の御声を聞くために作られました。」
このような神との一体感がヨーガです。
神を見つけるのに、森や山奥に入る必要はありません。
執着は、自分自身を世俗的習慣から抜け出させるまでは、どこに行ってもついてきます。
ヨーギーは、自分の心の洞窟で神を見つけます。そして、どこに行くにもその意識を持って行き、いつも神とともにいる至福を感じています。
人間は、肉体に束縛された感覚意識の中に落ち込んだため、そこから生じる我欲、怒り、嫉妬などの歪んだ想念に支配されるようになりました。神を見つけるには、こうした心の歪みを追放することが必要です。
東洋人、西洋人を問わず、人は皆、感覚への隷属状態から抜け出さねばなりません。
朝コーヒーが飲めなかったからといって腹を立てたり頭が痛くなったりする人は、習慣の奴隷になっている人です。どんな習慣にも束縛されないのがヨーギーです。
ーヨーガナンダ
ヨーガスクールカイラス発行「松川慧照エッセイ集5」より