言葉のカルマ
カルマ(行為)は身・口・意においてなしています。
私たちは心と言葉と行いにおいて常に行為をし、なんらかのカルマを積んでいます。このカルマが因となり果報を得ます。人生で体験することは全てこの因果によります。善いカルマによって良いことがあり、悪いカルマによってわるいことがあります。
身口意のうち、口のカルマについて、言葉のカルマについてを意識して取組んでみることは大変価値があります。言葉は気づきやすく取り組みやすいですが、結構キツイ言葉をいったりして自己の習性により悪業(悪いカルマ)を積んでたりします。
以下のようなことをチェックして言葉を正しくしていくことが、自分にも他者にも大変有益となるでしょう。
嘘をつかない。真実を語り、正直で、世間を欺かない。人のことを悪わない。ま人と人とを不仲にさせるようなことをいわない。人と人とが喜び和合する言葉を使う。乱暴な言葉で相手を罵らない。みんなに喜ばれる優しい言葉を使う。つまらない冗談などを言わない。その場に適したことを話し、実際のことを語り、道理や教法を比喩をまじえながら、相手にわかりやすく話す。
厳しく言えば、修行者は上記に加えて、愚痴を言わず、批判せず、煩悩的な会話や意味のない話もせず、一切の無駄話をやめて言葉を慎み、神や真理の話だけをするのが理想です。
自分に当てはめて、変えれるところを変えていく努力をしよう。
心の浄化
心は庭のようなもにである。
庭の土を耕し、肥料をやり、雑草を取り除き、植物に水をやることによって、よい花と果実を収穫することができる。
同様に、欲望、怒り、貪欲、誤謬見解、迷妄、プライドのような心の不純物を取り除き、「常に神を思うこと」という水を与えることによって、心の庭に献身の花を咲かせることができる。
雑草は雨季に成長し、夏になると消える。しかし雑草の根は地面の下に残っている。そして水がそそがれるとすぐに再び雑草は外に目を出す。
同様に
心の波が表面化し、そして消えたとしても、それは微細な種の状態でサンスカーラに内在され、そして内的、外的な刺激により再び表面化する。
心の庭が綺麗であるとき、雑草がなく、心が純粋であるとき、あなたは素晴らしい瞑想の果実を得ることができる。
したがって、まず最初に、心の不純物を取り除くことから始めなさい。
スワミ,シヴァーナンダ (ヨガスクールカイラス日々修習する聖者の知恵より)
強くあれ
最近は毎日慈悲ついて考える。他者への優しさと思いやりを育み、菩提心を高めて行きたい。
今日はヴィヴェーカナンダの生誕日、大いなる菩薩である彼を想うと自分の卑小さに気づき修行に熱が入ります。
思えば聖者である多くの先人達が道を示し、生き方を示してくださっている。
その理想を我がものとしなければ、この貴重な生が無駄である。
『あなたは自分が思ったようになる。
自分を弱いと思うならば、弱くなるだろう。
自分を強いと思うならば、強くなるだろう。
自分を不純であると思うならば、不純になるだろう。
自分を純粋であると思うならば、純粋になるだろう。』
ヴィヴェーカナンダ
瞬間瞬間自己をチェックして、心おいてエネルギーにおいて出来限り高い状態を保て。常に。
善き心を育てる
日々善い心を育てる。このベクトルが大切。
今までできていただろうか。エゴの悪い心を育ててはいなかっただろうか。嫌悪や執着の心が出てはいなかっただろうか。
これからはいつも誰に対しても優しく思いやりをもって生きよう。善い心をを育もう。
そして真に他に貢献できるようになろう。
瞬間瞬間自覚して 瞬間瞬間全力であれ
心の浄化
どんなに環境をかえても、
他者をコントロールしようとしても、
自分のこを浄化しなければ、本当に幸せになることは出来ない。
外的な状況設定をすることで、
一時的な、幸せっぽい幻影を作り出すことはできるが、
その幻影はもろく、儚く、無常であり、
かえって次の苦しみの原因となるばかり。
自分の心を浄化する以外に道はない。
完全な、壊れることのない幸せ、平安、安らぎをえたいなら、
自分の心を完全に浄化するしかない。
しかしこの事実は、逆に言えば、
自分の心さえ浄化すればいいのだ。
移り変わる現象を、自分のエゴに沿うように変えていくのは大変なことだ。
すべての状況を、エゴの満足するように設定し続けることなど、不可能だ。
しかし自分の心一つを浄化すれば、すべては解決する。
自分の心を浄化しさえすれば、幸せになる。
自分の心を完全に浄化するならば、完全な幸せが得られる。
なんと喜ばしい福音だろう。
これに気づいた人は、
今すぐ意識改革をし、
できるだけ早く、
今すぐに、始めるべきだ。
自己の心の完全浄化の作業を。
そしてその道こそがヨーガであり、仏教であり、
その道こそ、広めなければならない。
ヨーガスクールカイラス発刊『松川慧照エッセイ集11』より